不幸<自由
センスのいい婚約指輪がほしい。
そういう意味では、求婚を受けた既婚者の事が羨ましい。
少なくともその時は誰かに必要とされ、多額の金品を受け取ることができた人。
私の中で、もうひとりの私が冷ややかに見つめている。
私の結婚願望は”その程度”なのだ。
実のところは、結婚の実態なんてほしいと思ってはいないのだ。
キラキラ光る大きな石のついた指輪がほしいだけ。
誰かに必要とされた証を身につけたいだけ。
世間の多くの人と同じことができたと思いたいだけ。
自立を徹底的に仕込まれ、経済的強迫を受けてきた私にとって、
自分が等価交換できないものは負担でしかない。
返せないほどの何かをもらってしまったら、
以降恩を着せられて生きる気がして、自分の自由を取り上げられる恐怖すら感じる。
(婚約指輪だけが、唯一の例外なのだ。
なぜか、「もらい逃げ」していいもののように思えるのだ。)
親に甘えて家や車を買ってもらったりする友人もいる。
夫に甘えて悠々自適な専業主婦生活を送る人もいるらしい。
誰にも支配されず、自分の意のままに生きることを望むなら
誰からの経済的支援も受けるべきではない。
家も車も、自力で買うことができればそれが一番いい。
堅いこと言ってないで、親とも旦那ともうまくやればいいんだよ。
そんな風に思えるのだとしたら、もしくは無自覚であっても、それはとても羨ましいことだ。
私は人よりも、「もらう」ことに対する拒否感がとても強いと思っている。
お返ししなきゃいけないものなら、最初からほしくないと思ってしまうのだ。
それであばら家に住むことになろうが、の垂れ死のうが、
自己責任として、自分の力不足として、納得できる。
だが、ひとたびそこに他者が現れてくると
私の中であっという間に支配と被支配の関係になってしまうような恐れが生じる。
相手がお金持ちや成功した人であるほど、いつも私はその場から逃げ出してしまうのだ。
それが年上だった場合、柄にもなく脳内で年功序列が持ち出され
年長者に力づくで言うことを聞かされる恐怖がさらにプラスされる。
条件が逆なら、今度は私が、相手に恐怖を与えてもよいのではないかと思ってしまうところがある。(隠してはいるが、根底にこの気持ちがあると思う)
私はきっと、必要以上に卑屈であり、必要以上に横暴だ。
私は「家族を支配・被支配の関係でしかとらえられない人間」なのだと思う。
もし、世の中の家庭がそうでないなら、誰か私に寄り添って正しい暮らし方をおしえてほしい。
若いころは、みんな自分と同じ感覚なんだと思っていた。
ぶりっ子は別としても、さばさばした子たちとは、同じ感覚を共有してると思っていた。
そして女性よりは男性と、同じ感覚を共有してると思っていたけど、
家庭に支配・被支配の恐怖を抱えているなんて私ぐらいのものなんだろう。