真実を見つめるのは、時に、身を切られるようにつらい

ある日、ボルダリングジムに

母親と姉といっしょに、未就学の女児がやってきた。

 

女児は、バレエをやっているらしく

身体が柔らかく、活発で、物おじしない子だった。

 

ボルダリングのルールを教わり、一番簡単な課題から順に取り組みはじめた。

 

ゴールする度に「おかあさーん、みてみて」

「おかあさんやおねえちゃんにもできる?」とアピールする。

 

ジムのスタッフにも「わたし、何番までのぼったよー」とアピールする。

 

小さな身体から、わたしすごいでしょ、というオーラを撒き散らしていた。

 

確かに、その日初めて壁を登るにしては、

身体の小ささというハンデがあるにしては、彼女はとても登れる子だった。

 

私は、その子にイライラした。

甘えんなと思った。

自分を見て!ってアピるなよと思って気分が悪くなった。

その子と目を合わせたくなかった。

こちらを向いても無視をした。

 

誰も悪くない。

女児は、誰かに迷惑をかけるようなことはしていないし、

その親もちゃんと女児を見ていて、周りに気を使っていた。

ジムのスタッフも彼女を優遇したわけではなかった。

 

 

自分の闇が一層深く見えた日だった。

 

出来ない子や、引っ込み思案な子には

やさしく見守ったり励ましたりすることができそうだけど

できる自分を見て!っていう子は受け止められないと思った。

 

私は、恐らく、自分が、そう言いたい(言いたかった)のだ。

「おかあさん、私をみて」「私を褒めて」

 

この調子だと自分の子供ですら、

認めてやることができないだろうと思うと恐ろしかった。