「許してくれそう」と「許せない」(見かけと実情のお話)

私は、どうも「許してくれそう」な人に見えるらしい。

 

これまで、そこそこ告白されてきたけど

それは容姿とか中身以上に「OKしそう」だからなんじゃないかと最近思う。

不幸にもいくつか犯罪にも遭遇してきた。

それは私が「反論しなそう、力がなさそう、弱そう」に見えるからなんだろう。

 

私自身の評価とすれば、私は「許してくれそう」どころか、全く「許せない」人だ。

そもそも私は「許す」ということがよくわかっていない。

それはもう育ちが原因で「許されて」こなかったから、

周りに対してどこでどう「許せ」ばいいのかわからないからなのだ。

 

だからこれまで、私は徹底的に「許さ」なかった。

相手を責め、コテンパンにし、泣こうが謝られようが、厳しく追及し、

憎まれようが「許さ」なかった。

ひきぎわが分からない上、どちらかというと好戦的なタイプでもある。

一度怒り始めたら、自分では落とし所がわからなくなってしまう。

関係が壊れてしまっても構わないのだ。

そもそも私を怒らせるような友達はいらない。そんな風に過ごしてきた。

 

「許す」ことと同時に「交渉する」こともよくわからない。

自分では、ただ主張しているだけなのに「怒っている」と思われることが多いのだ。

性格キツイよね、ってずいぶん言われてきたことだろう。

 

 

こんな私なのに「許してくれそう」と思われるのは本当に不思議だ。

しかし、「許してくれそう」と思われる一つの要因がある。

それは私が普段関わる相手を「否定しない(よい意味で捉える)」ように振舞っているところだろう。

 

人は誰でも個性があって、信念があって生きているはず。

それを否定したり、馬鹿にしたりするのはおかしいだろう、と。

(もちろん私にも個性があって、信念があるので、それを否定しないでくださいということの裏返しだ)

 

それと、何かが楽しいかどうか、は自分にかかっていると思うので

いつも真剣に楽しもうと心がけている。

そういう態度が、誤解を招いているんだろうな、とは思う。

 

振舞っている、というのがポイントで、

私は放っておくと人を馬鹿にする癖がある。

それは、人を「許せ」ないことにつながっている。

人を許せないと自分も辛い。だから、許したい。

 

だけど、本当の「許し」とは何かが私はわかっていないんだろう。

だから私の振る舞いが「許してくれる」と誤解されるのだろう。