私なら絵を書かせる

私の職場には、この人は有能だなあ!と尊敬できる人が少ない。

逆に、この人はいまいちだなあ・・・と思わされることが多い。

 

いまいちな人、というのは空気が読めなかったり、あさっての方を向いていたりする。

組織で仕事をする以上、成果を上げるためにはお互いにフォローしあうしかない。

そんなとき、私たちは教える側と教えられる側になる。

 

 

どうやって教えるか?というのは、教える能力が試されることだ。

頭のいい人がいい教師とは限らない。

いまいちな人から見えている世界が見えて、その人と同じ言語をしゃべれる人こそが、教える能力が高い人だと思う。

 

うまく教える秘訣は、(いまいちな人が分かるレベルまで)できるだけ事象を単純化することではないだろうか。

複数仕事を抱えているなら全部一つずつ一番単純な構造まで、細かく細かく噛み砕いてやらねばならない。

 

相手がどこまで理解しているのかを手っ取り早く知る方法、

それは絵(商流、物流)をかかせること。

本人が理解していなければ、絵を書くことはできない。

ごまかしが効かないので、相手の理解度がいっぱつでわかる。

 

 

教える側としては、まずは仕事内容を説明する。

いまいちな人というのは、えてして暗闇の中にいるようだ。

だから自分の居場所を見える形にしてやること。

 

世界の中で、日本の中で、業界の中で、会社の中で、部の中で、課の中で、グループの中で。

自分が置かれている環境とはどんなところなのか?を説明してやること。

居場所が分かれば、いまいちな人も少しは安心する。

 

 

次に人間関係。

結局ホウレンソウも、相手がいなくちゃ機能しない。

 

いまいちな人は、登場人物が把握できていない事が多い。

自分がだれに影響を与えるのか?誰が力を貸してくれるのか?

それがわかれば、いつまでも一人で問題を抱えることもなく、解決の速度もあがるはずだ。

 

最初は、どんなこともホウレンソウさせる。

取捨選択は教える側がしてやること。

そのうちに、ホウレンソウの精度があがるはずだ。

(あがらないうちは、すべてホウレンソウさせる)

 

 

それから、求められていることを実行するプランを示してやること。

いまいちな人は、指示されたことを実行に移せないまま放置する傾向がある。

 

毎日やること、毎週やること、毎月やることを

それぞれカレンダーに書き出してやる。

 

今日が何をやらなければいけない日なのか、明確に認識させることが必要だ。

そして、教える側はその行程管理をきっちりやること。

これをやるうちに、仕事の優先順位もつけられるようになってくる。

 

できることなら、教える側の思考のプロセスも説明する。

なぜこうなのか。

AだからB、だからCと結論を導き出す、その方法を真似させる。

思考のプロセスを積む癖がつかないと、

直感や気分でとんでもない結論を出すようになり、

仕事のクオリティが安定しなくなるので要注意。

 

最後に、これはお好みだけど

仕事に好き嫌いを持ち込まないほうがスムーズに進む。

むしろ、嫌いな(苦手な)仕事を先にやったほうが順調な気がします。

納期管理ができている場合、

ここまで強制できるかというと難しい気がするけど。

 

 

誰が食わせてやってると思ってるんだ

前々回、母との関係を記事にしたが、あれは前半(中学校まで)で

今日は後半(高校~)を書いてみたいと思う。

 

 

私は、親の希望である公立高校を裏切り、私立推薦で進学した。

地方のヒエラルキーでは、公立>私立だったので

「教育」熱心な母としては、わが子を公立に入れたかったのだ。

ちなみに小学生の頃、私はその地域では珍しく(学年に1~2人)、大学の付属中学校受験も経験していて結果失敗している。

 私はもう危ない橋は渡りたくなかったので、安全圏である私立推薦に逃げた。

 

公立に進学させたかったのは、おもに経済的な理由によるものだったのではないかといまなら察することもできるが、当時は親のプライドもあってか、あくまでも学力を切り口に公立を推してきた。

母は、私の学力なら公立にも行けたのに教師が怖気づいて私立に、としばらく恨みがましいことを言い続けた。何も言い返せなかった。

 

 一方で、私は早々に受験のストレスから解放され、新しい生活が始まることが楽しみだった。

中学校では部活でも教室でも浮いていたし、小学校の学区が引き継がれてて、私をいじめた人ももちろんそのまま同じ中学にいた。

だから高校デビューじゃないけど、そんなやつらのいない高校生活はきっと楽しいに違いなかったし、中学にはなかった弓道部に入りたいなと夢見ていた。

 

 

入学直前のある日、家族で買い物にでかけた。

私はそれまでさんざん高校に入ったら、弓道部に入りたいって話をしていた。

 

車で移動中、何かのはずみで母親と私は喧嘩になった。

激こうした母は「高校で部活はやらせない!」と言い放った。

喧嘩の内容と部活をすることには何の関係もなく、

あきらかに親に歯向かう私への「あてつけ」で部活禁止が言い渡された。

 

お前の希望の高校に通わせてやる(=金を出す)私の言うことを聞け、

という経済的な力を使って私をねじ伏せた。

 悔しかった。

お金が自分の生殺与奪権だけでなく発言権までをも握っているということに私は傷ついた。

 

 

私は自分の愚かさを呪った。

なんでこんなときに喧嘩してしまったんだろう。なにもかもが絶望的だった。

 

だから、私も決心した。

 

高校では絶対に勉強しない。復讐だ。母が私にしてほしいことが勉強ならば、絶対に勉強なんてしてやるもんか、と思った。私の希望を奪うのなら私もお前の希望を奪ってやる。

 

そして、部活もしない、勉強もしない、からっぽな高校生活が始まった。

非行に走るわけでもなく、授業をさぼるわけでもなく

むなしいと思う時もあったが、毎日きちんと通いながら、私は親に抵抗の炎を静かに燃やしつづけた。

 

 

親には何かあると「勉強しないなら学校なんてやめてしまえ」「アンタがやめても私(=母)は全然困らない」「早くやめろ」と脅されつづけた。(オラオラ系の怒り方)

さすがに私にも、中退にはメリットがないと分かっていたので、これが始まったら何も言い返せず、嵐がすぎさるのを待つばかりだった。

 

 

またある日喧嘩した。本当に私と母はよく喧嘩をしたのだが

このときの制裁は、お弁当のボイコットだった。

 

高校の昼食は、お弁当か、学食か、購買のパンを買うかの三択だったが

それまで母はお弁当を持たせてくれていたのだが

「勉強しないなら(=私の言うことを聞かないなら)作らない」という宣言をされ、その後一切作ってくれなくなり、お昼代に毎日500円が渡されるようになった。

 

母の中に「許す」という言葉はない。それは卒業まで変わることはなかった。

一度機嫌を損ねたら、どんなに謝っても、二度と元には戻らないのだ。

 感情的で極端な母。圧倒的な権力を持っているくせに、子供と同じ目線で争う母。

 

 そのくせ妹には、お昼にてんぷらそばを学校まで宅配したというのだから、待遇の差に唖然とする。

 

 

 

 

 もちろん、大学も母は国公立希望だった。私は、数学、物理が壊滅的にできなかったのに、いつまでも出来ない教科を引きずって、5教科受験をした。当然ながら大学受験は失敗し、予備校生活の後、私大へ進学することになった。(浪人時代も5教科受験をした)

隣県の国立大学にも合格した(おそらく国語と英語の成績が全体を押し上げた)のだが、私は関東の私学を選んだ。

できるだけ親から離れたかったし、東京へのあこがれもあった。

そしてそのまま東京で就職した。

 

長くなってしまったが、

 子供に厳しくあたって、いい面はスルー、足りないものばかり強調して、やる気をそぎ、自信を奪い、隷属させて、脅して、一体どんないい結果が生まれるのだろうか?

 

北風と太陽の寓話のように力ずくで、子供を変えることができるのだろうか?

 

 

私はいまだに異性との距離の取り方がわからない。

恋人はできても、家族はつくれないのだ。

 

だれかに養ってもらうことへの抵抗感が抜けない。

養われるくらいなら孤独に死ぬ方がましだと思える。

収入の多い者に対して、いいたいことが言えない恐怖が私を支配している。

 

同時に、誰かを養うことも同じくらい嫌なのだ。

誰かによりかかるのも、よりかかられるのも

身の毛がよだつような嫌悪をもたらす。

 

でも嫌悪は憧れの裏返し。

自分ができないことをされるから

羨ましくて、苦しくて、腹が立つんだと思う。

 

本当は甘えたくて、大切にされたいんだと思う。

(このことも少し前まで認められなかった)

でもそのやり方がわからない。

やろうとすると、嫌悪感が私自身を苦しめる。

 

あの頃の

誰が食わしてやってるんだという声が鼓膜にこびりついて離れない。

 

 

 

ギョーカイ人のドヤ顔

始めに自分の立場を定義しておくと

私は広告業界に憧れて、広告学校という寺の門前までは行ってみた人間である。

そんな人間の裏山記事なので本職の方、失礼やら間違いがあったらごめんなさい。

 

広告をほーんの少しだけかじってみて思うのは、

「広告とは商品を売るためのもの」。

つまり、広告のコピーやアートというのは、消費者の気持ちを動かすためのものであって、

コピーライターやアートディレクターの気持ちの表現の場ではないということ。

これがわかっただけでも広告学校に通った価値があったというものだ。

 

現在の自分が物質社会に疑問を抱いていることと

自分がマイナーな人間なのではないか(=マスの行動とは離れがち)ということもあって、

自分には広告業界が向いていないとわかったことは大変によかった。

 

ここまでが前提。

 

で、私のフェイスブックのタイムラインには

広告業界の方々がたびたび登場してくる。

 

そういう方々を見て思うのは、ギョーカイ人は特に自分をコンテンツ扱いしているんだなということ。

もともと私は、フェイスブックブランディングツールだと思っているので

この人はこう見られたい人なんだな、という視点でそれを眺めている。

 

ブランディングしているというのは、ギョーカイ人じゃない人も、私も、意識的にも、無意識的にも、みんなそうだと思う。

 

しかし、特にギョーカイ人の方々は、仕事の内容を発信してくる特徴がある。

 

どんな仕事をした、どんな賞をもらった、有名な誰々さんと会った・・・

思いが形にできてよかった・・ 感動した・・

 

 

仕事ポストをするのは、たいてい広告業界(もしくは個人事業主。この人たちは自分でセールスをしなければならないので当然だ)の人なんだよね。

他の業界の人だって毎日仕事をしているのに、

他の業界の人が仕事の内容をドヤっているのはほとんど見かけない。

 

私は、もともと幸せポストに拒否反応があるけど

仕事でドヤ顔ポストも同じくらいもやもやする。

 

ま、多分すごく忙しいのだろうから

仕事以外のポストができない可能性もあるよね・・

 

 

劣等感

私の母はよく怒る人だった。

そして、よく叩く人だった。

母親のいうことを聞かないと、すぐ手が飛んできた。

 

そもそも私は小さなころから頑固で、なかなか言うことを聞かない子供だったらしい。

だから叩かれるのはしょっちゅうだった。

頭。時には顔。

叩く方の手も痛いんだよ!と逆切れまでされていた。

妹は叩かれる私を見て、いつもハラハラしていたという。

 

母は理系で、理系至上主義者だった。

私は父に似たのか、国語の成績はとてもよかったが、理系科目は苦手だった。

 

母は、自分ができることは当然自分の子供もできると思っていたようだ。

自分(理系)の子供が、理系科目が苦手で文系科目が得意、という事実が受け入れられなかったのだろう。私の国語力は最後までスルーし続けられた。

 

 

それだけでなく、たとえ算数や数学のテストであっても

90点をとっても95点をとっても、足りない方の10点、5点を責める人だった。

とれた9割は無視、とれなかった1割のことを毎回ねちねちと言われた。

 

どうして検算しないのよ。

どうしてあんたはいつもおっちょこちょいなのよ。

どうしてあんたは。

 

私は何も言い返せない。

なぜ間違ったのか。

それは、間違ったから間違ったとしか思えなかった。

 

 

私は本が好きで好きで、小学校6年の一年間は学年で一番本を借りた生徒だった。

毎日図書館で2冊ずつ借りても読み足りなくて、

テスト用紙に書かれた文章ですら、初見の物だと喜んで読んでいたし

新学期に教科書が配られると、すぐに全体に目を通すぐらい活字に飢えていた。

(特に読み物として面白かったのは、国語と道徳の教科書だった)

 

しかし母にとって、本は私をダメにするものという認識だった。

私は本を読みだすと没頭してしまい、他の事をやらなくなってしまうからだ。

 

そして私は本を取り上げられた。

それからは、机に向かい勉強しているふりをして、こっそり読むこともあったが

中学校の図書館が合わなかったせいもあって、読書量は極端に減った。

 

漫画は最初から禁止だった。

漫画は馬鹿になるから、というのが母の持論だった。

(「馬鹿になる」というのが一つのキーワードで、コーヒーも馬鹿になるから飲ませてもらえなかった)

 

隠れてこっそり買った漫画が母親にばれて、

叱られたことも、破かれたことも何度もある。

子供の私があきれるほど、感情的に、びりびりにされて、部屋中に撒かれていた。

 

 

大人になって、子供がいてもおかしくない年齢になって、改めて思う。

なぜ、減点方法をとったのかと。

なぜ、私から得意(本)をとりあげたのかと。

なぜ、親と子供が同じ能力を持つと思っていたのかと。

 

 

 

 

 

 

 

あの子たち、今どうしているんだろうな

私は小学校と中学校でいじめのようなものにあっていた。

 

自分が転校生だったのと、多分容姿も少し関係あるだろうけど、

クラスの半分くらいの女子から、放課後屋上に呼び出されつるしあげをくらった。

私がふざけて「○○子ちゃんみたいにばかじゃないもん」と言ったことが原因のひとつだった。(私が自覚あるのはこの一言だけ)

 

私の自業自得なところもあるのだろうけど、

大勢によってたかって、いろいろなことにダメだしをされ

泣くもんか、と思っていても涙が出てきてしまった。

「あー、これがいじめかー」とか「ここから飛び降りたらニュースになるのかな」とかできもしないことをちらりと考えた。

そのまま帰ったら親にばれると思っても、行く場所が他にはなかったから

泣きながら帰った。

家に帰って、案の定親にばれた。そして怒られた。

私も悪いが、一対集団でやるのは悪質だとして、

いじめたやつを私に列挙させ、後日そいつらを家に呼び、しめあげてた。

そのお陰か、露骨ないじめは続かなかった。

 

いじめのほとぼりが冷めたころ、

席が近くになった男子数人にからかわれたこともあった。

テレビでお笑い芸人が誇張した容姿と私の容姿が少しかぶっていたからだった。

ニヤニヤしながら私の顔を見て、2~3人でこそこそくすくすやっていた。

気分が悪いので、「なんなの?」と聞いても相変わらず

こそこそくすくす。

こいつら(男)もか。

首謀者も転校生だったのに、私とはま逆なやつだった。

こいつは中学になっても別の弱い奴をいじめ続けていた。

 

 

中学になってすぐ、部活動の道具がなくなった。

軟式テニス部に入ったのだけど、当時最新のラケットを隠された。

当時で一万円以上したと思う。

分不相応だけど、それこそ大学生や社会人が使うようなラケットだった。

同じ学年の子がわざとらしく探してくれたけど(当然?)出てこなかった。

こっくりさんで犯人を聞いてみたりもした。

結局、犯人は誰だか分らなかった。

 

最新式のラケットを買い直す余裕もなく、親がどこからか調達してきたレトロな木のラケットを使うことになった。

みんなの樹脂製のラケットの中で、木のラケットはひどく浮いて見えた。

 

 

同学年の子が私の事を嫌っていたのは知っていた。

誕生日プレゼント、私は全員(8人)に渡していたのに、

返してくれた子は半分にも満たなかった。

 

どういうわけか、スクールカーストでいう最上位(リア充)が集まった部活だった。

髪がさらさらだったり、体系がスリムだったり。

裕福だったり、足がとても速かったり。

大人っぽかったり、明るくて、吸引力のある子たち。

男子から告白されたり、プレゼント貰ったり、写真を撮られたりしていた。

 

そんな喧騒を、離れたところから冷ややかに眺めていたのが私だった。

誰か(まあ、それはこの場合私だけど)を除けものにしたり、物を隠したりするやつらがちやほやされる、それはなんておかしな世界だろう。

 

私は引退まで木のラケットで過ごした。

 

 

中学3年のとき、私は学級委員に選ばれた。

これでわかったのは、部活だけじゃなく、クラスからも除けもの扱いだったということだ。

面倒なことはおしつけてもいいやつ。

このころはもう、自分はそういう扱いなんだと認識していた。

 

案の定、各クラスの学級委員が集まる会議でもぼっちだった。

会議の日に指定された教室に行っても、

他のクラスの学級委員はふらふらとみんなどこかへ消えて

教室にひとりぽつんと残ったこともあった。

 

まじめにやろうとすればするだけ馬鹿みたいだった。

ならば私もまじめにやる必要はないし、

不都合が生じるなら、それは私に学級委員を押し付けたクラスメイトに対する復讐でもあった。

 

高校に入ると、今度は私と親との対立になっていく。

この話はまたこんど。

遠回りな仕事

物流関係の仕事について、かれこれ10年が過ぎた。

その間に身に付けたスキルが今の自分を支えている。

 

はじめは、誰だって、何も知らない。

だから何かあった時、

それまで生きてきたスキルで問題を解決しなければならない。

自分で解けなかったら、教えてもらうしかない。

でも、教えてもらうという選択肢があると知っていること、これもまたスキルのひとつである。

 

職場で隣に座っている40代後半男性のスキルが疑わしい。

上司にも「センスがない」とばっさり切られている。

その人を見ていると、遠回りな仕事だなと感じる。

 

遠回りな点

1.マネジメントが下手(自分でやること、他人に任せることの区別が下手)

2.人を見る目がない(誰が答えを持っている人なのか見抜けない)

3.毎回一から始める(何度もやることをテンプレート化していない)

4.過去失敗したことにまたつまづく(経験を蓄積できない)

 

スキルというのは、直接的には3,4に関わる。

3,4を回避できるスキルを持てれば、1,2が解決できるようになる。

 

センスがない、というのはスキルが体系化できていないということができると思う。

キライ=裏山

 気に食わない世間様や物事に、嫌いと思うのではなく、その感情を裏山(羨ましい)という言葉に変換すれば毒気が抜けるのではないかと逃げ道を作って書いてみる。

 気に食わないこと、人、いっぱいありすぎて、いや、身の回りに残った少ないもののほとんどが気に食わなくなってきて、自分が気難しく、偏屈になってこのままさらに孤立していくのかもしれないと思っている。

 今日の裏山は異性の惚気。同棲の惚気も腹立たしいが、異性の惚気はどうして私に憐れみや蔑みさえ混じった黒い感情を引き起こしてくれるのか。

 そもそも惚気とは、自慢の一種だと思う。幸せ自慢。今現在、幸せは人に見せるものじゃない、愛情は人前で示すものじゃないという価値観を持つ人はどれぐらいいるのだろう。そして、自慢。自慢って嫌われる行為で、たとえば学校で自慢なんてしてたらいじめられたりするんじゃないのだろうか。
 なのに、結婚しました、子供ができました、愛しています、の様な「いいことだったら発表していい」というメンタリティが最近世の中に浸透してきているように思えて、私はすごく不安定な気持ちになる。「いいことの起こった私を見て」「いいことをしている自分すごい」、よくそんな事言ってしまえるよな。

 異性ならなおさらだ。あんた騙されてるよ馬鹿だねぇという憐れみと、それを表に出す低俗さに対する蔑みがミックスされる。

 そう思ってしまう私は、悲観主義者なのかなと思う。いいことは長く続かないものだ。そう思っているから、いいことが終わった時、幸せだった自分を恥ずかしく思うのだ。あんなにはしゃいで馬鹿みたいだったな、と。愛しているけど、愛に振り回されない、クールな自分でいたい。斜に構えておいて何らかの気持ちの余裕は持っておきたい。その場の流れや瞬間のパッションで行動したくはない自分がいる。そういうのは未熟な証だから。

 だけど、この不安定な気持ちはきっと裏返せばあこがれなのだ。本当は私もみんなの前で、まるで私が馬鹿だと思う人たちみたいに、こんなことしたよ、ねえすごいでしょと言いたいのだと思う。

 馬鹿であること、恥ずかしく思われること、未熟であることっていうのは、私が思うほど馬鹿でもなく、恥ずかしくもなく、未熟でもないのかもしれない。